八月十九日 法学部の友達

 起きてぼんやりと空を覗くと快晴だった。こんなに雲一つなく気持ちの良い空が開けているのは何日振りだろうか、と思いながら二度寝。久しぶりの晴れは心地良く、その貴重な晴れの日に二度寝をするのは贅沢に感じられた。

 再び目を覚まし時刻を確認すると、バイト始業十分前だった。日に日にバイトへ行く時間が遅くなっている。このままだと明日は遅刻するかもしれないという危機感が生じた。

 バイト帰宅後、昼寝をした。

 一時半、日吉に向かう。法学部の友達の家に行った。人を呼ぶのが久しぶりなそうで、部屋の掃除に三日かかったという。部屋は、お世辞ながらとても片付いているとは言えなかった。私は友達を家に呼ぶときについ「今日散らかってるわ」と言ってしまう。部屋は自分の面子なのだ。立てて置きたくなってしまう。しかし、弁解することに何の意味もないので、これからは弁解せず開き直ったほうが良さそうだ。

 友達は、小さい頃から画集や写真集に親しんできたそうで、部屋にはたくさんの画集があった。川瀬巴水、京都の写真集、日本の美しい風景の写真集、デジタル風景画集などたくさんあった。その他にも、歴史小説、法律の勉強本、カメラの本、漫画、ドストエフスキー罪と罰などが床に散らばっていた。

 友達は、高いカメラを買って一週間関西一人旅行をしてきたそうだ。

 実は、私は古いフィルムカメラを持っている。フィルムカメラに憧れて、高校の時に買ったのである。しかし、様々な障壁、例えば持ち運ぶストラップが無かったり、フィルム現像が高かったり、露出計が無いため撮るのが難しかったりと様々な理由で一回も使っていなかった。そう私が話すと、友達は「写真は残るからね。一生の宝物だよ。」と笑いながら言った。なるほど。押し入れから埃の被ったフィルムカメラを引っ張り出して、フィルム一本分何か撮ってみたくなった。夏休み中に現像できるよう行動してみることにした。

 友達は、かなり勉強熱心で、秘書検定マイクロソフトのエクセルの試験、英語、行政書士の勉強を計画しているらしい。勉強熱心だねというと、彼は自分が大学を編入していて周囲より年をとっていること(現に彼の同窓はもう働いているらしい)が理由だと言った。さらに「慶應なのにその程度か」と言われたことがあるらしく、その反省らしい。私も「慶應なのにその程度か」と思われないようになにかしら自己研鑽を積みたい。高校まではテストの点という明確な数値がありそれを上げることがドグマだったが、大学生になると指標が分かりづらくなる。テストの点を上げることが全てでは無いことに気付くからである。大学生のうちに量的には表すことのできない何かを、経験を積んで質的に高めていきたい。

 日吉駅から友人宅まで徒歩に十分ほどあったのだが、急な長い坂があった。曲がりくねっていた。神奈川県は坂が多いという経験値はあったけれども、日吉駅周辺しか散策したことが無く日吉は平らなイメージがあったので、こんなに急な坂があるとは思わなかった。やはり神奈川県は坂が多い。

 少し調べたら、坂の名前は赤門坂。日吉台地のへりらしい。

 日吉駅前で「柴田商店」という魚介とんこつ系ラーメンを食べた。豚骨醤油拉麺六〇〇円でライス付き・お代わり無料。スープが美味で、柄にもなくライスを二杯食べてしまった。ラーメンと一緒に白米を食べるのは人生二回目だが、ラーメンと白米の組み合わせはとてもいいものだと開眼させられた。

 日吉の本屋に行った。かなり良質な本屋だった。漢検一級の本と画集をパラパラめくった。ブルーバックスに「ウイスキーの科学」という本があった。中身が気になる。

 湘南台に帰る。脳を活性化するために、なんとなくいつもと違う道で帰ってみる。ドラッグストアによってみたのだが、ウイスキーを買うか非常に迷った末、買わなかった。

 湘南台の友達と三人麻雀をした。

 

八月十八日

 昨日の夜、睡眠不足で眠かったのが、十二時を超えたとたんに眠気が無くなってしまい、朝四時まで雀魂をやってしまった。アラームを七時から十五分おきに設定したものの、結局起きたのは八時半。眠りが浅くなった挙句、バイトに遅刻しそうになるという痛手を負った。

 バイト先の店長との仲がすこぶる悪く深い。原因は何度も無断遅刻したこちら側にあるので自分の責任ではある。前のバイト先では、店長に気に入られていて、いろいろ融通を利かせてくれ楽だったので、職場の上司との間に良好な関係を気付くことは大事だと気づかされた。

 バイトが終わってからすぐ雀魂を一時間プレイした。スマホゲームよろしく、レートというものがあり、レートによって称号が変わるのだが、このシステムがとてもいやらしい。麻雀をやりたいという純粋な気持ちより、レートを上げたいという気持ちから雀魂をやることが最近増えてきている。ソシャゲは恐ろしい。

 四時に神奈川県横浜市桜木町に集合した。春風亭一之輔柳家喬太郎らの落語会を手伝うバイトをするためだ。落研に降りてくる案件で、四人集まった。その外に、話には聞いていなかったのだけれども、法政大学の落研から女の子が二人集まっていた。計六人で休み時間に雑談することがあったが、全然話が出来なかった。男女合わせた六人のグループで話す場合、誰か一人が会話を回したりする。今回の会話を回すひとは、自分の好きなタイプではなかった。運動部一軍に属していそうで、真顔で少し面白いことをいうタイプだった。ユーモアがるし、クオリティが高いわけではないが途切れずにエピソードトークが出てくるし、話を均等に振っていたし、学問的な知識もある人だった。こう書くと、スペックは高いのだけれど、どこか人を小馬鹿にしているようなふるまいが目につき、好きになれない。しかし実際には振る舞いによってそう感じるだけで、小馬鹿にしていそうというのは私の幻想にすぎないかもしれない。

 その人は、自分が主人公だと思って居そうな振る舞いをしていた。しかし、私にとって彼は、他人でしかない。とすれば、同じように自分も他人から見ればモブの一人に過ぎないのだと、その人を見て感じた。少し自分を客観視できた。

 

 落語を見た。見るのに目と頭を使いすぎて、とても疲れた。

 家に帰り、レトルトカレーを食べる。

 友達とネット麻雀をする。

 風呂に入る。

 

・読書

 電車の移動中は本を読むつもりだったのに、電車内の行きと帰りの往復時間計一時間をすべて麻雀に費やした。読みたい本が多すぎる。今は知識を身に着けたいので、小説よりも新書・学術書を優先的に読んでいきたい所存。

テスト

 或る友達のブログを讀んでみたらとても面白かつたので、自分も日記を書いてみることにした。今日の出來事。八時に起きる。テレビの設定をNHKが八時ぴつたりに自動でつくやうにいじつてゐる。そのため、目がさめると甲子園が流れてゐた。何處の高校かわからなかつたけれども、どしやぶりの中野球をしてゐた。外の庭を見ると小雨が降つてゐる。十時から塾バイトが始まるので、テレビを消して朝食を食べない儘バイトに向かつた。



 バイト中に鼻水とくしやみが出まくつて困つた。寢不足とエアコンの效きすぎで、一か月くらゐ鼻水が止まらない。ちなみに塾の他の校舎でコロナ感染者が出たさうで、生徒にさんざん感染症對策を促してきた。



 バイトが終はつて、お腹が空いてゐたが何も食べなかつた。冷藏庫には二週間前くらゐに燒いた餃子が三つ、炊飯器には同じく二週間まへに炊いた米があるが、どちらも食べる氣に成らないし、捨てる氣にも成らない。自炊をしやうにも、お腹が空きすぎてやる氣が起きない。バッテリー切れのルンバのやうに部屋で空腹のまま息絶えさうだつた。野菜スウプを作らうと思ひ立つたのが三日で、しかし作る元氣が無く、外食とお菓子で食ひつなひでゐる。



 友達と「かつや」に行つた。さくさくのかつの作り方を教はりたいと切實に思つた。ところで、自炊はテーマを決めると捗るものだ。以前「ナポリタン週間」、「ケバブ週間」を實施したことがある。一人暮らしの自炊で樣々な品目を作ると、食材が餘りがちだが、一品目を作り續けると食材が無駄に成らないと云ふ合理的なメリットもある。最近自炊のモチベーションが地を這ふレベルなので「とんかつWeek」を實施するのもありかもしれない。



 友達と、コメダに行つた。アイス・オレを注文した。近頃アイス・オレが氣に入りで喫茶店で頼むことが多い。ちなみに最近一番おいしかつた珈琲は赤羽驛の「トゥモロー」と云ふ純喫茶のものだ。是非飮んでほしい。

 純喫茶と云ふと、銀坐の「佛蘭西屋」はご存じだらうか。超お薦めだ。大きいグラスに注がれたアイス・珈琲が六〇〇圓。少し高いのだけれど、なんとお代はりし放題である。店内は薄暗い半地下にあつて、天井に割と大きめのシャンデリアが懸かり、店員さんはメイド服を着てゐて、更に隣にあるスタアバツクスのwifiも使へると云ふ名店である。



 コメダで友達と話した。友達と話すとよい刺戟を得られる。



 東浩紀の「ゲーム的リアリズムの誕生」を讀み終へた。ゲーム的リアリズムの系譜と云ふ全く新しい概念を知ることが出來た。



お腹が空きすぎて書く體力がなくなつたのでここで筆を置く。今夜こそ野菜スウプを作らうと思ふ。